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2017.7/14  統失女房とのつきあい(5)

 家内が統合失調症を発症した。2011年10月のことである。あれから6年余り、統失患者との付き合いに変化した家内との様子を記録してみたい。現在の再評価などを加筆、再編集しようと考える。今回は第一次入院明けから第二次入院まで、経過をふくめた家内の様子を記録する。

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◆最悪の予後
 退院の日、家内を乗せた車が病院の敷地を離れるや、さっそく飛び出した家内のつぶやき。〔薬はもう飲まない、病院にはもう行かない〕〔もともと病気などではなかった〕入院中に服薬していたのは退院するため、治療の必要性など理解していないのだから当然だ。それでも院内では症状が消えて改善したようにみえた。医師もそう思ったことだろう。本人にとって退院で目的は達成されたので、もはや薬に用はない。家内は病院をあとにした時そう思ったに違いない。

 本人の〔宣言〕どおり、退院して一週間ほど経つと服薬をやめてしまった。そして2箇月ほど経つと症状が出始める。様子は以下のとおり。
・最初は声漏れ
 独語になる一歩手前の状態で、言葉として聴き取ることはできないが、あくびやため息ではない。意味のない声が漏れ始める。これがやがて独語になる。
・気分障害
 不安がたかまる。戸締り熱心になり、物音に敏感になる。家人の行動が気になっていちいち目的を確かめる。そのときの表情は不安げで自信がない、怯えも混じっている。
・了解不能の行動
 やりかけの家事を放り出してほかの用事にとりかかる。ほかの用事は緊急ではない。風呂掃除を途中でほうりだして買い物にでかけるなど。このため、家の中にはいたるところにやりかけの家事が転がっていた。ものの手順や優先度の認識が不調をきたしていたのだろう。  

◆幻覚(左胸の疼痛)
 これは初めての症状。不眠と並んで数少ない自覚できる症状である。痛みを感じて検査に行く、異常なしの所見に納得できない。〔そんなはずなはい〕と本人は思ったことだろう。それが行動に出る。サンダル履きのまま新幹線に乗って東大病院に行ってしまった。紹介状がなく門前払い、仕方なく都内の弟(私の実弟)の家に転がり込む。これ以降、本人にも不本意な彷徨がはじまる。
 この時期には服装などに無頓着になる。東京に行ったときも夏とはいえ寝巻き同然の服装とサンダルばきである。少なくとも新幹線の乗客としてふさわしいとはいえない。  

◆思い余って彷徨い歩く
 東京では弟の家を出た後、まる一日の彷徨(どこかで外泊したが場所は不明)その末実家近くの親戚に転がり込んで寝込んだという。いくら親しい親戚とはいえ、いきなりやってきて〔体調が悪いから寝かせてください〕といって布団を敷いてもらう。普通の行動ではない。 

◆親戚の家で興奮、そのまま深夜の病院へ
 その後、いったん自宅に戻るが、わずか一時間で再び外出。私には〔神奈川の病院に行く〕と言うが、実際には再び東京へ。弟の実家を再訪問し布団で横になる。そちらの家には介護の必要な高齢者がおり迷惑千万なのだ。そこでもすぐに起き出し興奮状態になる、結局、急を聞いて駆けつけた私と弟とで本人を車に押し込みそのまま病院へ。深夜の急患受け入れを必死で頼み込んだ。深夜の移動2時間で病院に到着。第一次入院した病院なのでカルテもありその後は円滑に運んだが入院手続きが済んだときは日付が変わっていた。

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◆第二次入院〔2012.9.26////////2012.11.24〕
 入院時の家内には複数の自覚症状があった。第一次のときとに違いはここにある。胸の疼痛と深刻な不眠、後日本人は〔あのときは辛かった〕と語っていた。入院と治療の必要性を患者本人が認識していたため、治療は順調にすすんだらしい。二度目の入院ということで私は意図的に面会を減らした。
 院内での処方も工夫されていたようだ。第一次の退院明けのあとに続く本人の様子を私が記録しておいたのでこれを医師に提出したところ参考になったらしく、副作用の出やすい薬剤を避け、効果的な処方がなされたと思われる。入院生活についても第一次の時にみてもらった看護師さんや患者さんとの再会の形となった。意思疎通が円滑で院内環境へのなじみも早かったらしい。友人が出来たと喜ぶ言葉も聴かれた。

◆面会は最小限にとどめる
 精神科病棟の様子や回復の経過などは第一次でおよそのことはわかっていた。世話をしてくれる看護師さんも知っているので安心感がある。面会は必要最低限の回数にとどめ、あとのことは病院にお任せした。また、看護師さんたちは院内での様子を時折報告してくれた。入院から1箇月半ほどで主治医から連絡があり外泊の計画作りがはじまった。本人の外泊時の様子も第一次のときより温和で回復のよさがはっきりわかる。

◆自覚あり
1.入院前の自覚症状
 第二次入院では入院前の不調を家内本人がしっかり自覚できた。胸の疼痛と不眠などが自覚でき、これが元で関係者に迷惑をかけたことも自覚できていた。入院が止むをえないもので必要なことも一応理解していた。この点は〔むりやり入院させられた〕と思い込んでいた第一次入院と異なる。
 入院中も回復したいという意欲をもって治療に応じたらしい。このため、面会回数が大幅に少なかったにもかかわらず回復が早く、退院後の良好な予後につながったと考える。

◆良好な予後
 家族としてもっとも心配したのは妄想の残留。妄想は訂正できない。頭の隅にこびりついているはずである。しかし、状態の良いときには本人としては浮かばなくなるらしい。家族にとっては妄想を口にしなくなる、話題にならなくなる。何かのきっかけで妄想がぶり返すことを警戒すればよいだけになる。
 ぶり返しを防ぐ方法は明らかで、処方された薬剤をきちんと服用しさえすればよい。 このあとおよそ5年間、病状に波はあったが入院にはいたらず、おおむね平穏な生活が続いた。ちなみに入院直前まで悪化したことが2回あったが、その都度処方を修正し入院せず乗り切ることが出来た。私の取った記録の中心は服薬継続の難しさと副作用に関するものだった。

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〔第二次退院開けの処方〕
 少量処方。一日一回、2種類、全部で3錠である。平穏な状態を維持することを目的とした処方で、これを維持療法ともいうそうだ。家族の要望にこたえる形でデパゲンR(性格行動障害への処方)が付け加わっていた。いずれもジェネリックの薬剤なので安価で、4週間分で500円以下。〔自立支援医療の認定を受けたので医療費は1割負担〕費用面でも長期の治療を助ける形であった。
 参考までに、第一次時入院明けの処方は多種多量、1日3回、新薬主体で高額、それでも明らかな副作用が伴っていた。この辺の詳細は次回。

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※次回は、処方された薬剤と副作用について報告します。