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【その5】
vol.26(香港)
香港には何度足をはこんだことでしょう。 最初のときは、地下鉄はまだ工事中で、一路線も走っていなかった。 だいいち九広鉄道の九龍駅が半島の先っぽ、YMCAの前にあったのですからずいぶん前のことです。 外国人の出入りする店では値段表示が英国ポンド、米ドル、香港ドルで3段書きしてあった。 丁寧なところではさらに日本円での表示もあった。 とにかく筆頭は宗主国英国です。
その後何度となく訪れた香港で、地元の人が多く集まる場所を歩いてみたくなってあれこれまわったときの一枚です。 道教のお寺で黄大仙 (ウォンタイシンと読む) です。 場所は地下鉄観塘線で九龍の油麻地から6つ目、黄大仙下車、駅を出てすぐ。 道教というのは中国に古くから伝わる素朴な自然宗教で、大陸では共産党政権になって宗教色が薄れてしまったが、ここ香港では毎日のようにお参りの客が絶えないのです。
日本人の目から見ると、お寺と神社が混じったような感じでしょうか、建物は浅草寺のようで、正面に大きなお線香を焚く場所があって人々が他無とします。 しかしその左右には狛犬がいたりするのです。 お線香の煙をからだに浴びると無病息災が叶うような習慣も同じようです。 寺の周辺はみやげ物店や仏具展などが軒を連ねていますが、占いの店も多く見かけます。 日本で神社におみくじがあるのとちょっと似ています。 我々にもお寺と神社とをごっちゃにした意識がありましので、さほどの違和感は感じません。 お寺のいたるところに漢字が溢れていることもその傾向を後押ししているように思えました。
神社仏閣、教会、モスク、宗教施設というものは洋の東西を問わず人が集まり、観光名所になっています。 ここもそうしたひとつと言えるのだと思います。 特に宗教施設は現在なお地域の人々が普段お参り集まる現役の施設であると言う点で、単なる史跡とは異なります。 人々の息遣いが聞こえる。 中国本体は共産党政権になってからこのかた単なる史跡と化してしまって、私とっては面白くないのです。 建物の立派さ、豪華さや規模の大きさなど、ハードしか見るべきものがないからです。 もちろん、それから往時の様子に思いを馳せることは出来ますが、現役との迫力の差は歴然たるものがあります。 とかく国際貿易の拠点でグルメの街、買い物天国の側面しか見ようとしないできた香港で、地元の人たちを身近に感じさせる場所でした。
vol.27(小樽)
これは最近の写真です。 家族旅行で札幌を訪れたとき、小樽へ日帰り小旅行をしました。 そのとき切り取った街の風景です。 記憶に間違いなければ写っているのは旧・日銀小樽支店の建物です。 幕末期、淡路の船乗りであり商人でもある高田屋嘉平などが中心となってニシンを商いおおいに栄えた小樽。 函館とならんで開拓期の北海道経済を支えた街だったころの面影が方々に残っています。 明治期にはいるとこの日銀をはじめとして銀行や商社など大手資本が支店を構えて一大拠点になります。 最近見たTVドラマで、石原慎太郎&裕次郎兄弟の生い立ちをテーマにしたのがありました。 そこでも戦前石原家が商社支店長の父親とともに小樽で裕福な幼少期を過ごす兄弟の様子が描かれていました。 旅先では徒歩を原則に歩き回る私にとって、小樽はちょうどよいサイズでした。 海と山に挟まれ、平地部分の限られた地形のせいで、街自体がコンパクトです。 この点は神戸や長崎、熱海などと似た特徴でしょう。 だから市内の大抵の場所に歩いて行ける。 このときは幼い子供を連れていたため、市内循環のバスを活用したが、走ってみれば「歩ける距離」であることがよくわかります。 2歳半のちびがいるので多少遠回りになってもバスを多用したのです。 現在の小樽市の人口は15万人程度とか。 あまり正確ではありませんが、札幌150万人、旭川50万人、函館35万人、釧路25万人などと比べるとずいぶん小さな街ではありますが、私が知っている歴史だけからみても人口のわりに存在感の大きな街だと思います。 また小樽には漁港もあって魚が新鮮でおいしいことも、気に入った理由のひとつです。 家内は独身時代に何度か北海道を訪れているのですが、ついぞこの小樽には来ていなかったといいます。 こんな楽しい街があったとは知らなかったとあらためて驚いていました。 写真のような歴史を感じさせる街の風景を堪能しながらブラリブラリと半日楽しく過ごせる、札幌にはない楽しみ方のできるそんな小樽の街角でした。
vol.28(横浜)
鉄道マニアのカメラ小僧と同じような行動を私もとります。 旅で自分が乗った乗り物を写真に撮りたくなるのです。 これはそんな私の習慣でカメラに収めた一枚です。 家内との婚約期間中に香港旅行をしたのですが、そのときの出発風景になると思ってシャッターを切りました。 場所は横浜駅。 私たちは、この段階では独身貴族のお二人様でしたので、横浜から成田まではグリーン車を利用しました。 横浜始発の場合、先頭がグリーン車なので、社内に荷物を置いて早速一枚、となった次第です。 これでいそいそと行動する私の様子がわかっていただけるかと思います。 横浜駅というと、普段は通過するだけの途中駅で、駅そのものをしっかり観察することは少なかったのです。 東京へ向かう車窓から見る横浜駅は、活気はあるが狭苦しい駅という印象を長いこともっていました。 小学生のころ、氷川丸などを見物しにこの駅に降り立ち、駅前からバスに乗り換えたのですが、たしか東口のほうだったと思います。 古い駅舎のころで、その埃っぽさをよく覚えています。 西口側から出て行く東急の緑色の小さな電車 (東急の青ガエルと呼ばれていた愛嬌のあるデザインの電車です) も、駅の狭苦しさを印象付ける要素だったと思います。 その後、社会人になって3年目だったでしょうか、勤務先の命令で横浜出張所に通う期間がありました。 およそ1年半の横浜勤務で印象は一変。 さすが大都市横浜の玄関にふさわしいターミナルであることに気づかされました。 JRでは東海道線、横須賀線、京浜東北線の3線、 私鉄が東急東横線、京浜急行線、相模鉄道線の3社、これに市営地下鉄が加わって乗り換え客が多い。 首都圏で言うと都内の新宿、池袋、渋谷、東京、上野などのターミナルと並ぶ堂々たる規模なのです。 無いのは新幹線くらいのものです。 そういえば、あの鉄道唱歌で、♪横浜ステーション♪ と英語で呼ばれていたのは、京都の七条ステーションとならんで、二つだけでした。
vol.29(三島)
これまで紹介した写真のうちでもっとも自宅から近い場所です。 旅先の街とはいえませんが、たまにはいいんじゃないかと思って載せてみました。 場所は静岡県三島市、三島駅です。 三島は東海道線と新幹線、そして私鉄の伊豆箱根鉄道線があるのですが、あえて私鉄のホームを写したものです。 三島から中伊豆の修善寺をむすぶ駿豆線とよばれる路線の始発駅です。 伊豆箱根鉄道には、これとは別に小田原から大雄山とをむすぶ大雄山線もあります。 走っている電車も路線の長さもほぼ同じくらいですが、同社の本社は駿豆線沿線の大場というところにあります。 西武鉄道のグループなので、見る人がみると電車にその面影があります。 かつては西武線の電車そのもののようなやつが走っていました。 あまり知られていませんが静岡県は私鉄が多く、JR線への乗り入れも含めると8社もあります。 このことは地元でも知らない人が多い。 東から言いますと、伊豆急行線(伊東/下田)、伊豆箱根線(三島/修善寺・つまりここ)、岳南鉄道線(吉原/岳南江尾)、静岡鉄道線(新清水/新静岡)、大井川鉄道線(金谷/千頭/井川)、遠州鉄道線(新浜松/西鹿島)、天竜浜名湖鉄道線(掛川/新所原)、そしてJR御殿場線に乗り入れている小田急線、以上の8社です。 小田急のロマンスカーが新宿から沼津まで乗り入れは別として、他はすべてローカル私鉄です。 利用者の目線で特徴をあげますと、編成が長いのは伊豆急行、本数が多くて複線が静岡鉄道、非電化は天竜浜名湖鉄道、SLの定期運行が大井川鉄道、東京からの直通が乗り入れているのが伊豆急行と駿豆線(L特急・踊り子号)。 そんなところでしょうか。 写真の駿豆線は車両の出来がなかなかよい。 他の多くが大手私鉄のお古をリニューアルして運行しているのに比べて、ここは新車を投入していますし、座席がゆったりしているのが気に入っています。 写真にもどって、三島駅は県内でもっともホームが多い駅です。 8番線とありますが、その左が9番線です。 東海道線が1〜4番線、新幹線5,6番線、駿豆線7〜9番線となります。 単線ですが、一時間に4本運行しており、地域の便利な足として定着している路線といえます。 一般的には伊豆方面への観光路線として知られていますが、朝夕の通勤通学客もかなり多い路線です。 最近はここで新幹線に乗り換えて首都圏に通勤する人の姿も増えている。 朝のラッシュが去り、すこしのんびりしたそんな駅の風景です。
vol.30(香港)
香港をはじめて訪れる人の多くが香港が島であることを知らない。 私も最初はそうでした。 香港島は九龍半島の沖あいに浮かぶ島です。 アヘン戦争(1840年)の結果、英国に割譲された地域がこの香港島と対岸の九龍半島の先っぽとからなり、その後さらに北側(大陸側)の新界地区の租借部分が加わって、都市として英国直轄植民地としての香港が成長・発展していった。 香港の名前のおおもとがこの島の名前からきている。 写真は九龍半島から香港にむかうフェリーの船内風景です。 現在、九龍/香港のルートは何本もあるし、海底トンネルも複数出来ているし、地下鉄でもむすばれている。 写真はそうしたルートのうち、もっとも伝統があって中心的存在であり続ける、スターフェリーのものです。 九龍半島の尖端、尖沙嘴馬頭と香港島の中環とを連絡しています。 九龍側には、クイーン・エリザベス号などの大型客船の着くオーシャンターミナルやYMCA、ペニンシュラホテルが目の前です。 かつては馬頭のとなりに九龍駅がありました。 香港側は、香港政庁、香港上海銀行本行、マンダリンホテルが隣接しています。 私は香港を訪れるたびに一度はこのフェリーに乗ります。 香港および九龍の市街地のほぼ全体を遮るものなく見ることができるからです。 訪れるたびに変貌をとげる香港の姿を目の当たりにできることと、海風が気持ちいいからです。 運賃はとても安い。 香港の風景に欠かせない要素に、林立するビルに掲げられた看板があります。 フェリーから見える看板は主としてビルのてっぺんに付けられたもので、どれも実に巨大です。 世界中の大手企業の看板が見られます。 SONYやPanasonic、MOTOROLLAなどが目立ちますが、SAMSUMなど韓国資本のものも増えてきたと感じたものです。 ひらがなで 「ぢ」 と一文字の看板に私たちは、大阪の薬屋さんだとわかり、くすっと笑いますが、欧米人も中国人、韓国人もひらがなの一文字はどのように映るのでしょうか。 あの一文字には、ちゃんとした意味がある(病名)。 そのことを説明してあげたこともあります。 写真にもありますように、このフェリーの乗客は風景を見るのに忙しく、ほとんどのひとが思い思いの方角を眺めています。 しばらく香港にも行っていません、この風景は変わらずに残っているでしょうか。
vol.31(南寧)
中国、江西チワン族自治区の省都、南寧市内にかかる邕江大橋の風景です。 夕方の光にうまく映えて撮れたので一枚に加えました。 以前、このコラムで公衆トイレをテーマにしたのもこの街でした。 邕江というのは、香港付近で南シナ海に注ぐ大河である珠江の支流にあたります。 桂林の名物、船くだりで名高い漓江も同じ支流になります。 写真の先のほうはベトナムです。 (といってもまだ200kmくらい先なのですが) 画面全体から南国の熱気を帯びた光を感じます。 この橋は街の中心にあって、ほかに目立った建造物などがないためか典型的なランドマークになっています。 橋の袂(たもと)には簡単なものですが展望台のようなスペースも作られています。 街の風景として注目されるのは、この橋といかにも南国を思わせる街路樹くらいでしょうか。 特筆すべき出来事にここで出くわしました。 この写真を撮影したとき、カメラを構えた後方は市街地なのですが、そちらへ歩いて1分もかからぬ場所だったでしょうか、道行く人に駅の方角を尋ねました。 こちらは言葉が出来ないので筆談したのですが、読めないというのです。 私の字がきたないというのではなく、文字自体を読めないというのです。 あいにく周囲に人がいなかったので、しばし顔ををみあわせて考えました。 いかにも困惑した表情です。 しばし思案ののち、こちらが言葉の通じない外国人であり、放っておくことも出来ないと判断したのでしょう。 手招きで私たちを誘導しつつ、ご本人は他の人(読める人)を探してくれます。 いくらもせずに人を見つけ、私の書いた紙切れを見せて何ごとか話し、相手をバトンタッチ、というはこびになりました。 多分この方、自分のことを恥じつつも責任を果たそうと必死であったに違いありません。 ほっとした表情でその場を逃れるように去っていく彼に、こちらも咄嗟です、「ありがとう」、そして「謝々」とことばで追いかけましたが、おそかったかもしれません。 写真自体は、「ああきれいに取れた」程度のものですが、私にとっては、この出来事がついてくる鮮明な記憶付きの一枚です。
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