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【その4】
vol.20(カルカッタ/コルカタ)
雑踏というのはまさしくこういう状態を指すのだろうと思って撮った一枚です。 場所はカルカッタ。 中心市街地のやや南よりになるのでしょうか、カーリー・ガートやマザー・テレサが開設した 「死を待つ人の家」 の近くです。 市内でももっとも庶民的な雰囲気の一帯だと思います。 東京でいえば上野から浅草にかけての一帯とよく似た雰囲気です。 道路はさほど広くなく、写真の通りが表通りになるくらいです。 自動車のほかに、歩行者、自転車、荷車、人力車、三輪乗用車など雑多な通行がありました。 カーリーというのは、ヒンズー教の神のひとりで、戦いと殺戮の神様とされている。 青い顔に赤い舌とべろっと出し、刀と切り落とした生首を手にした空恐ろしい姿の女神です。 そのカーリー神はご当地の守り神様なのだそうで、カルカッタの地名の起こりもカーリーカタというのに由来していると聞きました。 いわばこの界隈はカルカッタ発祥の地ということになるのでしょう。 その総本山に向かう沿道には、神様グッズを中心にヒンズー教のお祭りにまつわる様々な道具からお守りもの、おみやげ物の店が軒を並べています。 単に雰囲気が浅草的というだけではありません。 参拝客を中心に多くの人が集まる街なので、食堂も衣料品など日用雑貨を商う店も加わって終日賑わう街角で、写真は日中の半端な時間帯のものですが、結構な人出に見えます。 インドは人口も多く、加えてカースト制度による身分制が根強くのこり、貧富の差も著しい社会ですが、こうした雑踏を歩いても一定の秩序を感じます。 熱心な信仰が旅人に秩序を感じさせているのではあるまいかと思います。 似たようなことがフィリッピンの街中でもありました。 カトリックの信仰です。 広いインドのことですから、地域によっては信仰上の対立によって動乱もあると聞いていますが、大半の地域ではこうした最低限の秩序やまあまあの治安状況を確保しているのだろうと思いました。 コソドロはいるが強盗はいない。 そんな状況です。 カーリーガートの参拝を終えて、充実した穏やかな表情で歩く人を多くみかける、そういう町並みです。
vol.21(南寧)
公衆用のトイレの写真です。 なにも南寧のものでなくともよいのですが、私の手許に残る写真ではこれしかなかったのです。 中国広西チワン族自治区の南寧は、中越国境に程近い、広い中国大陸の南の端っこに位置する暑い地域です。 北京など中央から遠くはなれた地方都市ですが、街の様子については他の地方と大きな差はみられません。 質素ではあるがきちんと街が作られているという印象をもちました。 その一例としてこの一枚を選んでみたのです。 もっとも、これが自治区の省都という地位にあるからこそのことかもしれません。 撮影したのは1984年のはずですから、中国の改革開放政策が始まって間もない時期だったと思います。 外国人観光客に開放する都市(地域)と非開放のそれとが区別されていたのも事実です。 だから、外国人のやってくる都市や地域には特段の注意をはらっていたフシもあります。 本当の農村部などではどんな様子であったかはわかりません。 海外を旅し、自分の足で街歩きをするようになって切実な問題は、トイレです。 先進国と呼ばれる地域でも外出時に用を足すのに意外に苦労することがあります。 端的な例が香港でした。 公衆用のトイレというものが少なくて、公園まで延々と歩いたこともありますし、待ったなしのときには大きなホテルに駆け込むことが多かったように記憶しています。 それに引きかえ感心したのが、当時の中国でした。 街中にかなりの数でこのような施設が目につきます。 安心感があります。 写真のトイレにも、撮影のあと入ってみたのですが、日本でみるのと同じような便器が並んだ、明るく清潔なものでした。 そうではない伝統的な中国式のタイプにも出くわしましたが、女性とちがって使用するについてはさほど勇気は必要ありません。 このほかにも街を清潔で快適に保つための最低限の施設は整っているとに感心しました。 ゴミ箱もその代表で、街中いたるところに置かれています。 陶器製のデザインされたものが多く、使い勝手はともかく工夫を感じたことがあります。 現地の人は水分補給に果物をよく食べますから、皮や種がごみとして大量にでます。 放っておけば暑い地方のことすから腐って悪臭を放つのでしょう。 質素ですがきちんとした配慮をうかがわせるこうした施設に社会主義のしくみを少し感じた一枚といえます。 その後、経済発展を続ける中国を見ていません。 都市部はTV報道などでなんとなく想像もできるのですが、その国の本当の豊かさは地方 (田舎) に現れると私は考えています。 なかなか再訪するチャンスはないのですが、この街をいずれは見てみたいと思っています。
vol.22(ロンドン)
街中の公衆トイレは他でも扱いました。 今度はロンドン市内です。 この写真をいつ、どこで撮ったのかもうすっかり忘れてしまいました。 地下式のタイプです。 写真にある緑色の格子に GENTLEMEN と表示があり、はじめての私にもすぐそれとわかりました。 とてもわかりやすい。 歩道にこういうのがあって、格子の端っこに入り口があります。 下に降りる階段があってこれが入口の階段です。 大して緊急の用はなかったのですが、興味があったので入ってみてびっくりです。 まずぞの広さ。 階段を折りきった左右に二つの部屋があります。 ひとつは用を足す部屋。 反対側は洗面所。 つまりこれが本来のトイレット (化粧室) です。 双方ほぼ同じ面積になっています。 用を足すほうの部屋は日本とほぼ同じつくりです。 感心したのはトイレットのほうです。 一人当たりの幅がたっぷり1mはある洗面台と鏡。 こういうのが6面くらい並び、しっかりお湯がでる。 そのお湯を溜めてちゃんと顔を洗えます。 また、その気にさせる清潔さでした。 洗面台の反対側の壁には、トイレットペーパーや石鹸、シェービングキットなどの自販機が並んでいます。 男性が化粧室で身だしなみを整えるといえば、洗顔と髭剃りが主な作業です。 それが歩道の地下でしっかりできる。 そういう施設なのです。 この一枚をカメラに収め、興味半分でのぞいたときにも、髭剃り作業中の人を見かけました。 写真でいうと右手の奥のほうにはこれと同じようなつくりで LEDIES のトイレットもありました。 さすがに中をみることはできませんでしたが、広さこそ同じでも、女性用のほうはもっと充実した設備なのでしょう。 施設そのものは年代ものですが、定期的に掃除もしているらしく、床も壁も全体が清潔そうにに見えました。 市内の公衆トイレすべてがこのような状態なのかはわかりませんが、ともすればたかが公衆便所と言い捨ててしまいがちな、この手の施設に余裕のようなものを感じました。 大英帝国時代からの伝統なのか底力なのでしょうか。 ちなみに、英国国内で気づいたのですが、入り口がひとつで中で男女にわかれる形式のトイレでは、 TOILETS と複数表示になっていました。 これまた英文法に忠実で、感心したものです。
vol.23(ローマ)
この写真は、1991年の秋にローマで撮影したことは覚えています。 しかし、市内のどこだったかは忘れてしまいました。 テルミニ駅から歩いてここに来たような気がします。 広場に面した古い建物で、中にはマクドナルドが入居しています。 建物の古色蒼然たるたたずまいと、店子のマクドナルドとの対照が面白いと思って一枚となったものです。 「永遠の都」 と呼ばれる歴史あるローマは市内全体が古代の遺跡のようなもので、どこからが遺跡なのか区別がつきません。 区別しようとすること自体がナンセンスなのかもしれません。 このことはただ建物だけに限ったことではなく、道路から排水路 (下水道) など目に見えない部分でもいえることなのだろうと思います。 そんな気分にさせられたもののひとつが、市内のがたがたの石畳です。 これ自体が古代からのものだとは思いませんが、この場所は多分古代から道路であったろうと思います。 石畳をめくりとれば、古代の道路に使われた石材が破片になって転がっているように思えるのです。 このようにがたがたの道路は自動車のつくりにも影響を及ぼしていると専門の雑誌で読みました。 イタリアをはじめとして古い石畳の道路の多いヨーロッパでは車のサスペンションなどをしっかり作ってあるというのです。 たしかにこんな凹凸の多い路面をすさまじいスピードでタクシーが行き交います。 こんな条件で乗り心地にも配慮するとなればずいぶん設計に苦慮することでしょう。 話をもどして、こうした伝統ある街にあっても人々はアメリカ資本のハンバーガーをかじりたいわけで、その需要にこたえるべくローマの街中にも店を構えている。 マクドナルドは日本でもおなじみの世界中に広まったチェーン店で、ここローマでも既存の建物に間借りしている。 ローマではかくも立派な建築物のなかに、新興国アメリカの軽薄な商業資本が収まる仕儀とあいなっている。 ちなみに場所は共和国広場「Piazza della Repubblica」で、ここを囲んで建つ半円形の建物であるエクセドラの中に入居していました。 ほかにはローマ三越などという表示も見えました。 わざわざローマまで来てハンバーガーを食べたいとは思わなかったので、写真だけ撮って素通りしました。 しかし今になって考えるに、あるいはこの店にはローマっ子の嗜好にあわせた、ここだけのメニューがあったのかもしれない、安直に素通りしたことを少し悔やんでいます。
vol.24(フッセン)
ドイツの南部、スイスやオーストリアとの国境に近いのですかね、そんな山の中にフッセンの街があります。 写真は家内と訪れたときのものです。 ミュンヘンからローカル線を乗りついでたどりついたと記憶しています。 日本で言うと松本から大糸線にのりかえて穂高方面に行くような感じでしょうか。 こんな田舎に足を運んだ理由はただひとつ、ノイシュバン・シュタイン城を見物したかったからです。 険しい山の頂上にそそり立つ白亜の城、後ろには湖が写ったそういう写真に見覚えの方も多いかと思います。 フッセンの駅前に宿をとり、この城への行き方を尋ねたところ、簡単なバスの便を教えてくれた。 言われたとおりに乗ってみて、実際には案外近いことがわかったのです。 それこそ歩ける距離です。 道順も簡単なので、帰りはのんびり散歩のつもりで歩クコとにしました。 そのときの模様がこの写真というわけです。 曇り空がやがて小雨になってしまいましたが、ドイツの田舎は美しい。 雨に濡れた道路と後ろの森がしっとりと美しく撮れました。 帰り道は、車道と歩道をしっかり分離してあるし、歩道のほうにはところどころにベンチや写真撮影用なのかちょっとした広場のようなスペースがあったり。 歩くことに対する配慮がよく感じられるのです。 日本ではここまでの配慮は出来ていない気がします。 歩道はあっても狭く、車の排気ガスをまともにかぶりながら歩かされることが少なくないように思います。 それでいて飲み物の自販機などは結構あって、のどの渇きを癒すには困らないのですが、風景は台無しというパターンが多い。 往きにバスで10分ほどの距離を、のんびり歩くこと一時間半。 途中で傘をひろげての行軍になりましたが、楽しい散歩を満喫できた田舎道でした。 街のはずれに帰ったところで、雰囲気のよいレストランを見つけて、かなり早めでしたが夕食にして、そのまま街中でのウィンドウショッピングに切り替えたりと、小さな田舎町ならではの過ごし方ができました。 とかく海外を旅すると、日本でも聞こえた大都市をまわりがちなのですが、ここフッセンは例外的な滞在のかたちになりました。 旅が長いときにはこういう田舎歩きを混ぜると気持ちが洗われる気分になります。 記憶違いがあるかもしれませんが、ここフッセンは田舎ではありますが、ローカル線とはいえ行き止まりの支線ではありませんでした。 本数は少ないようですが国際列車も停まります。 駅で調べてそんなことがわかり、帰りはミュンヘンまで国際特急に乗りました。 (もしかしたら少し先の乗り換え駅からだったかもしれません) スイス国鉄の綺麗で快適な列車に驚いた記憶があります。 地続きで先進国どうしが隣り合うヨーロッパ大陸とはこんなものなのでしょう。
vol.25(パリ)
かつてのTEE(Trans Eurpe Express)に使われていた客車ですから、今の感覚からいうとちょっとレトロな雰囲気のインターシティーに乗ってパリ北駅に到着し、駅で世話してもらったパリのホテル。 それがこの一枚です。 北駅から徒歩で5分ほど、東駅との中間のような場所でした。 表通りから一本裏筋に面した、街中の割には静かなホテルです。 写真は私がとまった部屋のドアが写っています。 庭に直面しているためでしょうか、網戸のドアもついていました。 ホテル本屋は3階建てなのですが、ここは中庭から直接部屋にはいる形式になっていて、一軒家ふうというかコテージ風のつくりです。 他にも3部屋ほどこういう形のゲストルームがありました。 リゾート地ではよくあるタイプなのでしょうが、ここはパリの街中です。 部屋の内部はさほど広くもなく、とりたてて綺麗なつくりでもありません。 むしろ質素に過ぎるくらいのものでした。 それでも一応はバス・トイレが付いていて一泊1万円ちょっとだったと思います。 私にとってこのとき、パリは二度目だったのですが、最初のパリは勝手もわからずに宿探しをして、騒々しい表通り沿いにあるレストランの二階に泊まったのです。 正確にいうとホテルの一階をレストランが占めていた。 経営者が同じなのでしょう。 この雰囲気は悪くはなかったのですが、今度はホテル業に専念した静かなところがいいと駅の案内所で注文をつけたらここを紹介してくれたのです。 宴会場も会議場もプールもない、ホテルの格としてはひとつ星に毛の生えた程度のところですが、雰囲気に満足して結局4日ほど滞在しました。 表通りにはレストランなどが軒を並べ、結構繁華な地区だったので不便は感じませんでした。 旅の先々で様子の異なる宿をとることもまた楽しみのひとつだと感じた一枚でした。 私は旅先で泊まった宿、乗り降りした駅、空港、乗った乗り物などを写真に撮っておく習慣があり、この手の写真は他にも数多く残っています。 おいおいそれらも紹介していこうと思います。
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